昔から聴いています、達郎さんの音楽。音に対するこだわりを感じます。
例えば、名曲「クリスマス・イブ」の間奏に、50声を超える録音を繰り返し、8時間をかけて作り上げたという話。音の職人と言われるその姿勢、情熱には驚かされるばかりです。
先日とあるテレビ番組で、山下達郎さんの音楽に対する考え方についてのインタビューがありましたので、大変興味深く聴かせて頂きました。そこで、私が長年疑問に思っていた事を、達郎さんはいとも簡単に答えていたので、ここでお伝えする次第です。
私は、子供の頃から主に洋楽を聴いていました。英語が得意なわけではなかったし、洋楽に対して特に憧れていたわけでもありません。気が付くと自然と洋楽の方へ向いていました。なぜか?
私の幼少期は、今のようにYou Tubeなど、様々な音源が容易に手に入る時代ではありませんでした。米軍のラジオ局:AFN(当時はFEN) から、唯一と言っていいほど多くの洋楽が聴ける事を知り、ラジオにかじりついていたのが、小学校の高学年くらいの時でした。今考えると、その理由は、単に気持ち良かったからです。英語の歌詞などまったく理解していません。聴いていて気持ちが良いのです。(邦楽が気持ちよくないという訳ではありません、念のため)
達郎さんの特徴的な歌い方を思い出せますか? 歌詞には載らない、ひと呼吸や ”ん”の一拍。あるいは、吐く息の音でアイウエオが、ハヒフヘホに聞こえる歌い方。これらによって言葉にグルーブ感が出ているようです。日本語は一音一音が母音で終わる発音なので、音の流れと言うか、グルーブ感を保つのが難しいのではないでしょうか?なので邦楽でも、グルーブ感を持たせるために、ヒットメーカーは特徴的な歌い方をされていると感じます。矢沢永吉さん、忌野清志郎さん、桑田佳祐さん 然りです。洋楽、つまり英語と言う言語は、メロディーと融合しやすく、グルーブ感が割と自然ですが、日本語と言う言語の場合、いかにメロディーに融合させるか?曲のグルーブ感を損なわずにどうやってメロディーに言葉を載せていくか?これが一つの課題だと思われます。
(すべてに当てはまるわけではありません。個人的な考えも入っていますのでご容赦下さい)
小学生の自分が、グルーブ感を気持ちいいと感じてたんだなぁと思い、納得した次第です。
達郎さん、ありがとう。
良い一日を!
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