東急目黒線の変遷から考える事

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東急目黒線が地上を走っていた跡の遊歩道を歩いてみました。目黒線の不動前から洗足の区間ですね。私が見慣れている昔の目黒線(当時は目蒲線)は、地上をにぎやかに走る市街電車のイメージです。昔は車体が個性的。深緑色で、運転席のところがやや出っ張った車両でしたが、そのうち、東横線と同じ銀色に赤い帯の車両となり、さらに現在は地下鉄の南北線や三田線が乗り入れ、色々な車両が走っているのでカラフルになりましたね。昔の深緑色の車両は、その色や形が、どことなくアマガエルを連想させるので、よくカエルに乗る、カエルで帰る、と言っていたのを思い出します。長野を旅した折、ローカル鉄道に乗った時、この「カエル」を見かけた事がありました。長野は東急の創業者、五島慶太氏の地元ですから、東京で引退後の車両を譲ったのかも知れませんね。多くの私鉄を傘下にした五島氏ですから、こんな関係性は一例に過ぎないのでしょう。

 

今日はちょっと目黒線の変遷を簡単に振り返ってみました。

・1923年(大正12年)目黒蒲田電鉄の目黒線が全線開通し、目蒲線に改称。

・2000年(平成12年)目黒線(目黒ー武蔵小杉)と多摩川線(多摩川-蒲田)に分離。

同年、南北線と三田線の相互直通運転を開始。

・2001年(平成13年)南北線を介して、埼玉高速鉄道線との相互直通運転を開始。

・2006年(平成18年)全線で急行列車の運転開始。

・2008年(平成20年)武蔵小杉ー日吉間を延長。

そして、2023年(令和5年)3月 相鉄新横浜線への直通運転を開始予定ですね。

 

出張で新幹線を利用することがありますが、よく聞かれる話に、「新横浜はいまいち不便」という事があります。横浜在住の同僚も、品川まで行って在来で引き返す方が楽、と言います。もし、新横浜が上記のように繋がれば、かなり利便性が増すでしょう。一方目黒線ですが、乗り入れる会社線が増えると乗り間違えに要注意ですね。また、相互乗り入れの懸念点として、事故があると関係線全体に影響が出たり、乗り入れ中止、急行運休などが起こりますから、余裕をもって利用したいところです。2023年の動向を見守りましょう。

 

良い一日を!

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