懐かしい海外研修の記憶 L.A.編

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およそ30年前の1991年春から夏にかけて、L.A.へも海外研修に行っておりました。L.A.は地球の緯度で言うと、日本の北九州市あたりに相当します。空気は乾燥していて、日差しが強いとかなり暑かったのですが、日陰に入るとさわやかな風がとても心地よかったです。

まず、空港のデカさに驚きました。成田空港のターミナル1,2のような感じで、ターミナルが6つありました。人の数も半端ないです。星条旗とともに、熊のカリフォルニア州旗が掲げてありました。

私が滞在したホテルは、繁華街の中心、チャイニーズシアターの近くにあり、夜でもかなりの賑わいを見せていました。雑貨屋兼カフェのような店があちこちにあって、よく利用しました。軽食、夜食の買い出し、ただの休憩など、大変重宝しました。日本のコンビニ+カフェ+立ち飲み屋のような感じ。ただ、酒を買うときは必ず年齢を聞かれました。(当時私は30才)自己申告なので、一応決まり事なのかもしれません。

通りを眺めていると、バイクに乗っている人はほとんどヘルメットをかぶっていません。逆にサングラスをかけていないライダーは一人もいません。理由を尋ねてみると、州法ではヘルメットは義務ではなく、サングラスは着用必須だそうです。ヘルメットはかぶっていなくてもダメージは本人の問題。しかし、サングラスをしていないと、目に異物が入ったりした瞬間、事故を起こして他人を傷つける恐れがあるからと言う答えでした。なんともクールです。

クールと言えば、消防車の迫力には驚きました。サイレンとクラクションは鳴らしっぱなし。一刻も早く現場に到着したいんだ!と訴えている感じで爆走していきます。

ロスアンゼルスは非常に広く、地図を見誤って大変な事になりました。ロスアンゼルス郡は関東平野がすっぽり入るほどの大きさ。ちょっと歩いてみようと出かけたのですが、なかなか目的地に到着しません。確認したところ、山手線を縦断するほどの距離を歩いていました。背の高いヤシの木の街路樹が延々と続いていました。

途中でフライドチキン屋さんへ立ち寄り腹ごしらえしたのですが、そこのチキンが大変美味しかったのを覚えています。チェーン店のようなのですが、あまり聴き慣れない屋号。店の名前は、確か

エルポヨ・ロコ だったと思います。ころもがない、鳥を素揚げしたようなチキンで、外側はカリカリ、中はジューシーでした。

さて、その目的地と言うのは、タワーレコードのLA店です。日本にないCDを見つけたら買うつもりでした。しかし日本の店内と違って、段ボールに入ったまま、所狭しと陳列されてある感じなので探すのに苦労しました。超有名なアーティストのみ札が立っていましたので、ビートルズやボブディランはすぐに目に留まりました。渡辺貞夫さんの札もありました。日本人として嬉しいですね。

なんとか、CDを探し出し、購入したのはよかったのですが、歩いて帰る気力はありませんでした。

路線バスを利用しました。

路線バスは日本のように系統番号が表示されていて、10とか20とか番号が小さいほど、幹線を走る主要ルートバス、120とか200とか番号が大きくなると時間帯限定や臨時バスなど、不定期便であるという事です。ただ、話に聞いて いたのは、通勤時間帯以外、路線バスはあまり利用しない方が良いという事。自動車が安く買える土地柄、路線バスに乗る人は、大変貧しい人かよほどの変人くらいだと言われました。

バスが来たので、恐る恐る乗り込みました。体格の良い運転手さんからチケットを買います。この時は何も問題ありませんでした。ルートを確認すると一度バスを乗り換えることになります。乗り継ぐ場合は、降りる際に申し出て乗り換えチケットをもらいます。これを持っていると、一定時間は、次のバスに乗るときの料金が半分になります。バスを降りるときは、日本のようなブザーではなく、電気コードのような紐を引っ張って降りる合図をします。さて、次のバスに乗り換えです。またまた体格の良い運転手さんへチケットを見せ、料金を払います。車内の後方は薄暗く気味が悪かったので、運転手さんのすぐそばに座りました。案の定、バスの後方から変な声が聞こえてきます。黒人の年配の女性3人が酒盛りをしていることがわかりました。どうやら一緒に飲まないか?と私を誘っているようでした。それに気づいたのか、運転手さんが私に一言。”関わるな”

長くなってしまいましたので、続きは次回に。

良い一日を!

 

 

 

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