このところの猛暑のせいか、変な夢を見ました。と言ってもこれで多分3回目。以前にも何度か見たことのある同じ夢。デジャブです。
自分が草原のようなところを歩いています。青空のもと一面芝生を敷き詰めたような緑で覆われたなだらかな台地。そこを徐々に下っていくと、眼下に一本の道路が横に走っていて、その向こう側には海が広がって見えます。道路のところまで下ると、車がひっきりなしに走っていて、なかなか海側へ渡れません。ほこりが舞っているのか視界もよくありません。(この辺りから夢はモノトーンになります)やがて車が途切れ、道路を海側へ渡ると広いところに出ました。そこは海ではなく、広大な荒野でした。海を探してさらに歩いて行きます。そして気づくのです。やはりそこは海だったところで、潮が引いたのではなく、干上がった海なのだと気づくところで夢は終わりです。
土曜日に、テレビドラマ「パンドラの果実」を観ました。科学犯罪捜査のドラマですので、最新の科学や最先端時術の話題がメインのようですが、なぜタイトルが「パンドラ・・」なのか?
パンドラと言えば、ギリシャ神話に出てくる「パンドラの箱」を連想します。ご存じの方もいらっしゃると思いますが、「パンドラの箱」とは、神々によって作られた、人類の災いとして地上に送られた ”贈り物” だそうです。その贈り物は ”災い” ですから、その後人間は様々な災難によって苦しむわけで、とても嫌な話なのですが、しばしば注目されることは、パンドラの箱が開け放たれた後、最後に箱に残っていたものがあります。これが ”希望” だったと言われています。この ”希望” によって、人間は苦難を乗り越え生きていけるのだとも言われているのです。「パンドラの果実」とは、人類に、時に災難と希望をもたらす ”科学の産物” を意味しているのでしょうか? そんなことを考えながらドラマを見ておりました。ご存じの方がいらっしゃいましたらご教示頂きたいところです。
ちなみに、土曜日の第10回に登場した、感染力の強い ”プロメテウス ウィルス” という名称ですが、先の神話で「パンドラの箱」が地上に送られた際、”決して箱を空けるな” と忠告したのが、神話に出てくる神族の一人、プロメテウスでした。人類への警告と言う意味では、ピッタリの命名だと思います。
私のような世代では、「パンドラ・・」と言うと、太宰治の小説「パンドラの箱」を思い出します(箱と言う字が、はこがまえに甲)。こちらは第二次大戦後間もない頃の話ですので、かなり背景が異なりますが、終戦直後の、物質的にも精神的にも打ち砕かれた人々が、生きて行こうとする姿勢を、これまた生死を左右する、結核を患った人々とその病院を舞台に、手紙の形で書かれた小説で、一般に”重い”と言われている 太宰文学の、明るく希望に満ちた作品と言えると思います。
それにしても、ディーン・フジオカさんは、魅力のある俳優さんですね。
良い一日を!
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